日本人の死亡原因の推移を見ると、以前は感染症による死亡が多かったが、今は悪性新生物(がん)、心疾患、脳血管疾患が上位を占める。感染症は衛生環境改善や医療(抗生剤等)の発展で顕著に抑制されたが、文明の発展とともにいわゆる「生活習慣病」が激増。心筋梗塞や脳梗塞、それらの原因となる糖尿病、高血圧はもちろん「生活習慣病」だが、悪性新生物も「生活習慣病」の要素があることも指摘されている。

ここで問題にしたいのは「生活習慣病」という表現だ。

「生活習慣病」という表現は、個人の生活習慣が悪いから病気になるというイメージが強いように思う。しかし、医師として20年以上患者に対し生活習慣の指導をしてきて感じることは、「個人の習慣は意志でなく環境に規定されている」ということだ。そもそも人の行動のほとんどは意識的でなく無意識になされてることがわかってきている。行動の理由の多くは後付けだ。

身体を動かしましょうと言っても、自動車があり、タクシー、バスがあり、エレベーターがありエスカレーターがあれば無意識のうちに利用してしまう。椅子やソファがあれば座る。当たり前のように残業がある環境であれば、終業後や休日も疲れて中々活動的にはなれない。身体活動不足は必然だ。バランス良く食べましょうと言ってもコンビニには加工食品があふれていて、外食産業もカロリー過多、そして脂質や糖質に偏ったメニューが当たり前のように並べば当たり前のように手が伸びる。アンバランスな食事も必然。コンビニや自販機で容易に手に入るアルコール。タバコもしかりで、先進国では珍しいほどの喫煙可能な環境。意志より環境。個人で環境を変えるには高いリテラシーに加え実行力や経済力も必要になってくる。少なくとも誰もが容易にできることではない。生活習慣であることは間違いないのだが、その本質は、個人ではコントロールが難しい「環境」だ。

「生活習慣病」として個人の責任にベクトルが向く表現はこの病の本質を捉えていない。例えば「生活環境病」と表現を変え、その環境構築に寄与している企業や組織、文化にもより一層目を向けると良いと思うのだ。

もちろん我々現代人は、先人方々や現在の様々な企業の努力による文明発展により多大なる恩恵を受け平和な社会、利便性の高い社会で過ごすことが出来ている。高齢者や何らかの障害を有する方にとってはなくてはならないものも多々ある。必要な人が必要なタイミングで利用させて頂くことは今後も必要だ。感謝の気持ちは忘れてはならない。しかし、行き過ぎた利便性により新たな病が蔓延しているのも事実だ。悪気は無くとも、結果として「生活環境病」に加担している各方面の大組織がその「環境」をトップダウン的に変えることこそパンデミックな「生活環境病」の克服に向け大きく前進すると思うのだ。状況が一変する可能性もある。

いくら高血圧や糖尿病の薬を飲んでも、心筋梗塞の手術をしても、環境を変えないと本質的な対処にはならない。行動学による対処も試みられているがまだ発展途上だろう。

「生活習慣病」ではなくて「生活環境病」という表現に変えることにこそこの変化を加速させる可能性があると思う。