おはようございます。布施淳です。

循環器内科は、心臓のみならず、大動脈の病気も良く診ます。例えば、大動脈瘤。

以前も、阿藤快さんの訃報の際に、この病気に関し触れたことがあります。

気軽に相談できる医師の友人を持とう

 

「大動脈瘤」と言ってもいくつか種類がありますが、ざっくり言うと、大動脈が拡張して、膨らんで、ついには破裂してしまう病気です。正常の大動脈は約30mmくらいの太さです。1.5倍を超えると「大動脈瘤」と言い、これが50mmくらいまで拡張してくると破裂のリスクが増大します。瘤径が小さい時は自覚症状がありませんので、発見されずに進行してしまうことが少なくありません。健康診断等で胸部レントゲン写真で気づかれることがあります。一旦発見されたら、CTスキャンなどで検査しつつ経過観察し、拡大してきたら手術のタイミングを図るというのが、スタンダードな治療方針です。瘤の形や部位にもよりますが、大雑把に言うと、5cmを超えてくると破裂のリスクが高まりますので、手術を考えます。

 

胸部大動脈瘤が拡大すると症状が出る場合があります。周囲の臓器を圧迫することにより嗄声(声が枯れる)、嚥下障害(飲み込みずらくなる)、顔がむくむ、などが挙げられます。そして、破裂し掛かかると疼痛を感じます。もちろん、破裂してしまうと激痛であることが一般的です。胸部の大動脈瘤が一旦破裂してしまうと、死亡率は90%と高く、手術室にたどり着いても、死亡率は50-70%ほどと言われています。怖い病気です。

 

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(大動脈瘤・大動脈解離診療ガイドライン より)

 

 

しかし、瘤径が5-6cmを超え、手術を勧めても、手術を選択しない患者が少なくありません。ご高齢の方は特に、手術をしたがりません。

 

「もういつでも死んでも良いし」

「ぽっくり逝きたいよね」

 

それは、それで一つの考えですから、自分としては否定することは決してありません。外科的手術よりも破裂リスクが高いことを十分説明した上で、内科的治療を継続します。

 

しかし、そのような方々が、本当に「いつ死んでも良い」と思っているのか、意外とわからなかったりします。「いつ死んでも良い」から手術を選択しないのではなく、「なんとなく怖いから」とか「まあ、たぶん破裂しないでしょ」という楽観思考で、手術を選択しない方も相当数含まれるのではないかと思います。それは、平均寿命を超えたような超高齢の方でも当てはまります。

 

先日も遭遇したエピソード。「いつ死んでも良い」と言い、大きな大動脈瘤を手術せずに内科的治療で経過を見ていた高齢の方が、とある日、いざ、その瘤が破裂しかかって(一部破裂したけれど、幸い止まって、大爆発に至っていない感じです)、痛みが出て救急搬送されてきました。幸か不幸か、完全なる破裂に至っていなかったので即死しませんでした。でも、緊急手術をしなければ、ほぼ間違いなく死にます。そんな状況での患者の言葉。

 

「先生、やっぱり手術してください・・・・」

 

散々、手術の勧めを断ってきた人が、手のひらを返した様に手術を希望してきます。痛みが強い場合は、それに耐えきれず、鎮痛という意味も含め、手術を希望されるのはまだ、わかります。痛みがあまり強くない場合でも、切羽詰まった状況に成ると、結局手術を希望してくる方が少なくありません(このケースは痛みは強くありませんでした)。やはり、いざ自分の命が危うい、という場面に遭遇すると、人は、生きたいのです。やっぱり、人間も生物ですから、「生存欲」があるのは当然でしょう。理屈抜きで、やっぱり、生きたいのです。このエピソードで、純粋な、単品の「生存欲」の存在を目の当たりにした気分になりました。

 

動物たちは、おそらく、「自分の生きがい」とか「生きる意義」「生きる目的」とか深く考えていないでしょう。猫が「俺の生きがいは街の野生ネズミを捕まえ、クリーンな社会に貢献することだ」とか思っていませんし、犬が「私の目標は、人間との言語的コミュニケーションを十分できるようになることだ」なんて思いません、きっと。「種の保存」という本能的欲求はあるでしょうが、それを意識して生きているということはたぶんないでしょう。「生きる目的」とか「生きがい」とか、難しく考えるのは人間くらいです。自分は、人間らしく笑、そのような「生きがい」は大事だと思っていますし、ワクワクすることを満喫するために、人生を送れればより幸せではないかと常々思っています。でも、それを人に押し付けることはできません。

 

なんの生きがいもなく、ただダラダラ生きる人、確たる目的もなく、テレビを漫然と見て過ごしていたり、やることないよ、、、と嘆きながら、なんとなく生きている人も少なくありません。そして、そのような人たちを非難する人もいます。

 

平均寿命を超えたような高齢の方は、それ以上長生きしなくても良いのではないか、と思う人もいますし、自分も正直そのように考えることもあります。いい加減、もういいでしょ?と内心思ったり。

 

人生の目標や、目的がなくても、「生きたい」「生きていたい」という「生存欲」はただ、それだけで、立派な欲望なんだと、最近は思うようになってきました。多様な価値観の中の1つなのです。その、単品の「生存欲」を否定したり非難したりする資格のある人は誰もいません。自分自身としても、「何もせずにダラダラ生きるなんて、生きる価値ないよ!」と思ったりすることも以前はありましたが、それは、単なる自分の視野狭窄なのかもしれません。

 

生きること、そのものに価値観を置いている人。

◯◯をするために生きる人、◯◯に価値を置いている人。

 

客観的には、欲望の方向性が異なるだけで、そこに優劣や良し悪しはありません。多様な価値観を認める姿勢が必要です。医療に携わるものとしても、目の前の患者が、この「生存欲」をどのくらい有しているのか、把握する必要があります。それを尊重することを忘れてはいけません。