おはようございます。布施淳です。

普段、ついつい一緒にいる人は気が合う人、価値観が近い人だったりします。それはそれで勿論悪いことではありませんし、自然なことかとも思います。逆に、意見が合わないような人には、なるべく近づかなかったり、自然と足が遠のいたりします。これも自然な事と思っています。

 

日本人は、一般的に、反対意見を出し合って対話を進めるコミュニケーションが苦手ですし、その対話事態に否定的なイメージがあったりします。メディアにおいても、政治家等著名人が、何らかの意見に対し批判的な発言をすれば「批判!」などと、きついイメージで報道されたり、批判された方を悪く表現したり、あるいは批判した方を悪く表現したり、その議論自体が「ネガティブ」なイメージで映ったりします。メディアよりももっと身近なところでも、会社など職場の会議で反対意見を発すると雰囲気が悪くなったり、なだめるような諭しが入ったり、対立した議論そのものにポジティブなイメージはないように思います。

 

自分たちの環境で考えても、互いの言語的・非言語的コミュニケーションスキルの質の低さゆえに、雰囲気を悪くすることもありますが、それを差し引いても、やっぱり反対意見で対立するような場に、ポジティブなイメージはありません。意見の合わない人との議論は永遠に平行線だったりするし、もう面倒だから初めから自分の主張を言わずに、議論自体を避けたりすることもあったりします。

 

昨日取り上げた本「幸福途上国ニッポン 新しい国に生まれかわるための提言」で、このあたりの話に触れていました。青字は引用です。

 

反対意見や批判は、「別の視点から議論する対象」として、大いに歓迎すべきである。いろいろと異なった視点で考えるからこそ、最善のアイデアが生まれてくる。」

 

議論で対立するのは、あくまでお互いの意見であって、人格が対立するのではない。

 

そして、フランスの哲学者 ヴォルテールの言葉を引用、紹介しています。

私はあなたの意見には反対だ。だが、あなたがそれを主張する権利は、命をかけて守る

 

 

おっしゃる通り!!!という感じです。主流(と思われる)の意見に同調しやすいのが、日本の集団主義です。長いものには巻かれろ、付和雷同。その方が楽だからです。思考停止して、流されていれば、楽です。会議も早く終わります。でもそこから、場の発展、個人の発展、組織の発展は生まれません。また、反対意見の主張が出ると、言われた方は人格まで否定されたような気になります。実際に人格を否定するような言い方も多いと思います。これは、やはり、言語的・非言語的コミュニケーションスキルの質の低さに起因するものといえるでしょう。また、本当に議論慣れしていない日本人の中には、”議論の対立=人格の対立” と解釈して、本当に人格を否定するような議論をしてしまう人もいるかもしれません。自分も、恥ずかしながら、その傾向があったと、反省しています。貴重な反対意見を主張してくれる人には感謝しなければいけません。自分が反対意見を抱いた場合は、敬意を持って、相手に伝えなければいけません。

 

この話は、以前触れたこの記事との関連もあるでしょう。

他人の意見に耳を傾けよう

我々は、ついつい、同じ環境の人や同じ価値観の人と時を過ごすことが多いですし、「ムラ」形成しがちです。でも、違う環境の人の意見こそ聞く必要があります。違う価値観の人の意見こそ聞く必要があります。対立した意見を持つ人と、ロジカルな議論を交わし、議論が終わったら、笑顔で会話できる、そんな環境を、皆で作ってきたいものです。