おはようございます。布施淳です。

他人の意見に耳を貸さない人、たくさんいます。職場や学校、身の回りにもいることでしょう。他人の意見に耳を傾けないばかりか、時には、傍目には独りよがりの正義感の暴走となり、しかし、その攻撃性に無自覚。「異質性」の排除。そのような方がいると、やっぱり周りが困ってしまうことがしばしば。

 

 

 

この本では、「他人の意見を聞かない人」の増加を指摘。その原因の一つとして「インターネットの普及による独り世界の時間の増加」を疑っています。なぜ、他人の意見を聞かない、聞けない、のでしょうか。幾つかのパターンを例示し以下のような可能性を指摘しています。

 

自己正当化、自身の「悪」の隠蔽、プライド保持、自身の優位性誇示、自信欠如の隠蔽、変化への不安、強固な思い込み、柔軟性欠如、完璧主義、イチゼロ理論、支配欲求、強すぎる自己愛、承認欲求と自己顕示欲、妄想、強迫観念。

 

そのような困った人に対する対応は難しく、絶対的に有効な対処方法もこの本には記載されていません。上記のような原因を突き止め、個々に対策を講じることになるのでしょう。全般的には、一言で言うと「「いつかは聞いてくれるようになる」などという甘い幻想を捨て、他人の意見を聞かない人に自分自身がならないように気をつけることである。」だそうです苦笑。自分が他人にやられたことは、自分では他人にやらないようにしようということです。悪循環を形成させてはいけません。

 

自分自身にはあまり関係ない、自分は大丈夫、と思っている方も多いでしょうが、自覚症状が無い場合もあります。そんな例は、自分の属する医学系学会の場でも見受けられると思っています。

 

例えば、心臓カテーテル治療専門の学会。学会の中では、カテーテル治療が極めて有効な治療法であり、「正しい」ことである、という雰囲気を感じることが度々あります。(他の治療法を排除し)「カテーテル治療」が大前提で、その技術論を議論する感じです。しかし、少し俯瞰的に見ると、カテーテル治療の有効性に疑問を抱く意見も多々ありますし、カテーテル治療の適用が不適切なことも少なくありません。カテーテル治療の学会の中では、「カテーテル治療をしない」という意見に聞く耳を持たない場面が散見されます(もちろん、いつもそうであるわけではありません)。

参考:そのカテーテル治療は本当に必要ですか?

 

この本では「問題を指摘するような他人の意見に耳を傾けない。同じ意見を持った者同士、仲良しグループだけで意見を交換して、それ以外の意見を受け入れようとしない。」ような風潮が社会の様々な場面で増えているといいます。ネットのコミュニティもその典型例と指摘します。そのような学会やコミュニティをこう表現しています。「他人の意見を開かない人たちが集う「村社会」。同じ意見を持つ者同士で「交流」し、自分たちの正しさを確かめ合うことによって、自己肯定感を得る。」

 

自分の仲間達、環境、職場、自分の常識、自分の日常、が正しいと思い込んでいることが誰でもあるのではないでしょうか。自分たちの組織や、仲間、コミュニティは、常に風通しを良くして、他人の意見に聞く耳を持ち、常に俯瞰的に、ゼロベースで自分たちの「常識」を見直していく必要があると感じました。自分たちのコミュニティは、常にメンバーの流動性を保持ししつつ、更には少しは異分子を含ませておくことも大事でしょう。

 

自分は循環器内科に属しています。心臓を専門に診ていますから、どうしても心臓目線で患者を診てしまうような、視野狭窄を来してしまいます。循環器医のみの集団ですと集団全体が視野狭窄を起こします。時々、循環器内科には医師になって3-5年目の他科所属の後期研修医が短期間ローテーションしてくることがあります。彼らとともに仕事をすることにより、循環器内科的には当たり前と思っていることも、他科目線からすると(良くも悪くも)常識的でない、と気づくことがあります。循環器内科としても、他科メンバーの風は必要です。

 

医療界全体も「医療ムラ」です。医療従事者は、非医療従事者との交流を大事にし、他人の意見に耳を傾ける必要があります。

参考:五輪エンブレムと医療倫理

 

他人の意見を聞かない人を前にして困っていたり、あるいは逆に自分が他人の意見を聞かない人になりかけているのではないかという危惧を抱いている人には、特効薬とまで行かなくとも、何らかのヒントが得られる本ですので、ご一読ください。