おはようございます。布施淳です。

 

 

先日取り上げたゴッホ、ピカソの本が面白かったので同じ著者の本を読んでみました。多くの気づきをもたらしてくれる本でした。まだ自分の中で咀嚼しきれていないのですが、この記事を書きながらでも少しづつ整理していこうかなと。

 

今後、日本は社会の階層化が進むと言います。その階層を分けるのは、学歴、職歴、資産、収入、教養、容姿、品格、、、など。そして、そんな階層を超えるために我々が今、磨くべきことは、

 

① 柔軟性

② 言語化能力

③ 品格と教養

 

だ、と言います。

①、②は、またの機会として、③について。

この品格と教養、、、一言で言うと「一緒にいて楽しい人、気分のいい人になる」と表現しています。身だしなみを整え、教養・知識を磨き、豊富な話題、論理力などを身につけ、楽しく心地よい時間を作り出すのです。

 

この中で、特に印象に残ったことは、外見、身だしなみ、に関する記載です。

 

男性は「清潔感」、女性は「透明感」を大事にすることを勧めています。これらに対し具体的にどうするのかというと意外と難しく一言では言えませんが、抽象概念としては直感的にわかりやすい、良い表現なのではないかと感じました。

 

髪を整え、きちっとした服装、磨いた靴、背筋を伸ばして、姿勢良く、そして丁寧な言葉遣い、、、、、。最も重要なこと、そして自分的に最もインパクトがあったのは、これらの「身だしなみは、自分のためにやるのではない。他人に対する尊敬であり、愛である」という言葉です。身だしなみ・外観は、勿論それが全てではありませんが、その場の雰囲気を作り出す大事な一要素であることにな変わりはありません。

 

普段、自分がどのような服を着たいか、靴を履きたいか、どのような振る舞いをするか、、基本的には自分の希望に沿っていました。自分がどんな格好をしたって自分の勝手だろう。着たい服を着るさ。これが俺流。俺好み。カッコ良い服を着たい、綺麗な服を着たい。今日はカジュアルな格好、今日はスーツ、ネクタイ。自分が着たいから着る、あるいは、その状況合わせた「常識的」な、「無難」な格好。「自分」が、その場から浮かないような格好。すなわち、「自分」を軸に考える傾向が強かったように思います。

 

一方で、例えば冠婚葬祭の時。喪服や礼服といった服装は、相手への敬意を反映しているかもしれません(「自分」が、その場から浮かないような格好、と考える場合もあるかもしれませんが。。。。。。)。この服装の選択は自分ではなく、相手に軸を設定しているとも言えます。冠婚葬祭でなく、普段の日常から相手に軸を設定して、自分の醸し出す「清潔感」や「透明感」により、相手、周囲に良い気分になってもらうという意識を持ってみよう、ということです。

 

自分が着たいから、楽だから、過ごしやすいから、洗濯しやすいから、たまたまタンスの前面にあったから、、、、というような理由で今日の服を選択するのでなく、今日過ごす仲間や職場の人たちに敬意を払い、彼ら彼女らの気分が少しでも良くなるような服装を選ぼう、という意識。女性は、もしかしたらこのような感覚を持っている方が多いのかもしれません。男性はあまり多くないように思います。少なくとも自分は全く意識していませんでした。

 

そして外見・身だしなみと言っても、服装ばかりでなく振る舞いや言葉遣いも重要です。上司や部下・同僚、老若男女、関係なく、すべての人に敬意を払い、丁寧な言葉を用い、少しでも心地よい時を過ごしてもらうという意識を持とうということです。小学生の時、「敬語」は目上の人に使う言葉と習いました。でも人を敬うことに年齢はあまり関係ないように思います。年齢が上でも下でも敬いの気持ちを持って常に「敬語」を使うことは普通なことなのだと思います。言語コミュニケーションのみならず、非言語コミュニケーションも勿論重要ですよね、特に笑顔とか。

 

顎を引いて、背筋を伸ばす。以前、そのような姿勢を推奨する記事も書きました(アゴを引いて過ごそう!)。椅子に座る際も寄りかかるように浅く座るのではなく、膝と腰を各々90度に保って「姿勢良く」座る。自分の身体のため、腰痛予防のため、とか思いがちですが、これも、周囲への敬意、周囲への愛、でもあるのです。

 

 

「身だしなみは、他人に対する尊敬であり、愛である」という言葉。これを常に実践していくのはなかなか難しいこととは思います。肩こっちゃうよー、と感じる人も少なくないでしょう。でも、常に頭の隅に残し、少しずつでも実践できれば素敵だなあと思います。