おはようございます。布施淳です。

 

このブログでも繰り返し話しが出ているように、今の医療の現場は高齢者で溢れています。

80歳、90歳は当たり前です。100歳も珍しくありません。

そのような高齢者に、どこまで医療を施すのか。手術をするのか、しないのか。人工呼吸器をつけるのか、つけないのか。胃瘻(腹部に栄養注入用の管を刺して造設する)を作るのか、作らないのか。延命治療・心肺蘇生術を施すのか、施さないのか。治療を中止するのか、しないのか。様々な場面で意思決定の必要性が生じます。そんな状況で、医師も患者も患者家族も悩みます。意思決定に至る手順は定まっておらず、往々にして、医療提供側(多くは医師)の独善的価値観に基づいた意思決定に傾いてしまう傾向があったりもします。

このブログでもそんな意思決定に関して、以前こんな記事を書いていました。

エンディングプロデューサー

 

先日は院内で「人生の最終段階における医療の倫理ジレンマ」がテーマのカンファレンスが行われました。上記のような問題に対し、当院では「倫理サポートチーム」を作り倫理コンサルテーション事業を試み始めています。このチーム、緩和ケア医、精神科医、内科医、看護師、ソーシャルワーカーなど、多職種から構成されるチームです。主治医が、ある患者に対する方針の意思決定に悩む場面があれば、この倫理サポートチームにコンサルテーションするシステムです。先進的?な取り組みみたいですし、主治医としては、本当に困った時にはありがたいシステムかと思います。

厚生労働省から、終末期医療の決定プロセスガイドラインが出ていることも教えてもらいました。患者自身の意向の尊重、継続的な対話、多職種での話し合いといったところがポイントです。アドバンス・ケア・プランニングなるものも初めて知りました。今後の治療・療養について患者・家族と医療従事者があらかじめ話し合う自発的なプロセスだそうです。終末期医療には進行癌の方も多く含まれます。心臓の癌は極めてまれですので、循環器医って、癌患者を診ることはあまりありません。従って、(高齢者以外の)癌患者の終末期医療とか、緩和ケアとか、弱い部分がありますので、新鮮でした。終末期医療を「癌」「非癌」と分けているのも当たり前なのですが、循環器医にとっては日頃使い慣れない表現でした。

 

この辺のことは、先日触れた尾藤誠司先生の本医者の言うことは話半分でいいでも触れられています。まあ、その先日のカンファレンスも尾藤先生が講師でしたが笑。

 

 

人生の最終段階における医療に関する意思決定は、当然倫理面が強く、確たる正解はありませんし、非常に難しい問題です。でも常々感じていることは、多くの人が「死」を特別視しすぎているように思います。特に高齢者の「死」は必然ですし、人は死亡率100%です。このブログでも何度も触れてきました。例えば、

自分の望む最期を考え、意志表示しよう

「会えるのは今日が最後」の意識

 

高齢者にとって「死」は特別でも何でもなく、必ず全員が経験することです。当たり前のことです。いくら「生存欲」が強い人でも必ず迫ってくるものです。日本人全員、老いも若きも、その「死」を身近に考えて、自分の死、家族の死、、、、そんなことを気軽に語り合える文化にすれば良いのではと思ったりします。日頃から死に対する考えを家族と共有できていれば、差し迫った時の意思決定もよりスムースになるはずです。

 

また、日頃から死を意識することで、「生」の貴重さを再認識する機会にもなると思います。自分にはどのくらいの時間が残されているのか。その間、やりたいことは何なのか、時間は足りるか?、何を優先するか?。。。。。。制限時間を意識することでより密度の濃い時間を過ごすことにつながります。

 

そんな文化を作ることに、医療従事者は貢献できることがあると思います。例えば、日本人の生存曲線に慣れ親しんでもらい、自分の命の立ち位置を客観視してもらうとか。自分の外来ではこの生存曲線を時々患者やその家族に提示したりしています。あなたは、今、この辺ですよって。

 

image2

http://tmomed.info/dh/12/12-5-r2.htm より)

 

なんか、同じような記事書いてますね。ま、いいですけど笑。繰り返しは大事ですし、大事(と思う)なことは繰り返します。

「死」のシミュレーションをしよう

 

ただ、これが、自分の「独善的価値観」にならないように気をつけないとと思っています。