おはようございます。布施淳です。

日々、病院を訪れる超高齢の患者が多いです。90歳代も当たり前です。御高齢とは言っても元気な方も多く、生存欲が高い方も少なくなく(100歳まで生きたい!とか、東京オリンピック見たい!とか、、)、そのような方はまだ医療を提供するモチベーションを保てます。

一方、著しい認知障害や、寝たきりでコミュニケーションをとることも難しいような方、または生存欲の低いひとも多く、そのような場合、正直、医療を提供するモチベーションを保つのが難しいです。

生存欲が高くなく、かつ、生産性のないご高齢の方は、もはや積極的な延命の必要性は乏しく、苦痛をとるだけだったり、ご本人の希望する方針だけとるような治療方針が主体になることもあります。

ともすれば、「生きている価値」は乏しい、、、、と考えることもないわけではありません。

 

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この本に「人は、ただ生きているだけで価値がある」という記載があります。

労働(生産活動)を全く行っていない人も、なんらかの消費をしています。赤ん坊も、引きこもりも、寝たきり老人も、間接的にせよ、なんらかの消費活動を行っています。

人は生きているだけで消費活動をしていて、誰かの生産活動に貢献しているし、消費したお金は、誰かの給料になっていますし、自分の給料も、誰かの消費のおかげで得ているのです。

ひとりひとりの消費活動は、必ず誰かの生産活動につながっています。

社会貢献とは、生産活動のみではなく、消費活動によっても成し遂げられるものです。

このような経済学的視点から、「人は、ただ生きているだけで価値がある」と言えるのです。

 

いろいろな切り口、いろいろな考え方があると感じつつ、自分の視野の狭さを恥ずかしく思いました。

90歳の老人でも、寝たきり高齢者でも、著しい認知障害の高齢者も、生存欲のない高齢者でも、みな、消費活動を行っており、社会貢献をしており、すなわち「生きている価値がある」のです。