おはようございます。布施淳です。
前回記事
「アンバアランスな広告を誇りを持って作れるか?」 http://junfuse.com/150528/
を書いていて、自分も携わる医療の現場でも「誇り」を持った仕事ができているのか、ということを考えてみました。
医師として、特に自分の関わる領域である「循環器(心臓)」の仕事の多くは、「人の命を救う」ことに直結します。それに関しては「誇り」を持って仕事をしています。特に、例えば、働き盛りの40代前後の急性心筋梗塞患者の緊急治療などは大変やりがいがあるわけで、まさに「誇り」を持って取り組めます。
循環器以外の分野でも、多くの医師はそれぞれの分野に特徴的な「誇り」を持って働いているもの推測します。
しかし、そんな医師の業務の中でも、そうでないことも多々ありますし、分野によっては、業務の多くが「誇り」を持てないことになってしまっていたりするのではないかと思います。
・風邪の患者に処方する風邪薬、抗生剤
・動脈硬化性疾患のない高コレステロール血症患者への薬物治療
・その他、エビデンスの乏しい薬物を含めた各治療
・ろくに診察もしないで、いつもの薬を処方するだけの再診患者外来
・混雑、忙しさにかまけて、機械的に流してしまう外来診療
・検査前確率の低い患者への検査オーダー
・検査前確率の低い患者への心臓カテーテル検査
・軽症無症状患者への心臓カテーテル治療
・虚血証拠のない患者への心臓カテーテル治療
・超高齢患者への侵襲的治療
・超高齢患者への心肺蘇生術
・健康診断
などなど、、、、
ちょっと考えただけでも、ほぼ役に立っていない、役に立っていても、その効果はごくわずか、、といった業務が山ほどあります。それを、何となく、あるいは、良かれと思って(思い込んで)、あるいは、やらざるを得ず(いろいろな理由で)、やっていたりします。
これまでもそんな話題にはしばしば触れてきましたね。
たとえば、
患者の不平から感じる歪んだ医療 http://junfuse.com/150218/
検査検査で負のスパイラル http://junfuse.com/150128/
そのカテーテル治療は本当に必要ですか? http://junfuse.com/141224/
前回の、タバコやその広告を作成することを誇りを持って行うことはできるのか?と疑問を抱いたわけですが、全く他人事ではありませんでした。
ただ、「誇り」とは、あくまでも主観的なものです。自分の「誇り」と、他者の「誇り」は異なります。自分の「誇り」も他者から見れば「誇り」とは到底思えないことかもしれませんし、その逆もあるでしょう。
自分の「誇り」を大事にするということです。最低限の客観的正当性があれば、他者にとやかく言われる筋合いはありません。主観的な感覚とはいえ、この「客観的正当性」が伴うことを重要視したいです。
社会の中で生きて行くのは大変かもしれませんが、自分が「誇り」を持って行える仕事や、行動を、常に心がけて行きたいものです。